2016年09月01日

一般社団法人デジタル遺品研究会ルクシー(LxxE)を設立しました

 デジタル遺品というと、なにやら謎に満ちた未知の存在のように思えてきますが、単に遺品がデジタルで残っているだけで、本質的には普通の遺品と変わりません。

 ただ、本人以外からは見えにくかったり、やたらとセキュリティが厳重だったり、壊れたら一切合財触れられなくなったり・・・・・・と、デジタルならではの特徴を持っているのも確かです。

 そのあたりのクセを抑えて、デジタルであることが面倒を引き起こさないようにするにはどうしたらいいのか。そこを調べて世に広めていくために「一般社団法人デジタル遺品研究会ルクシー」(通称:LxxE)を設立しました。

 データ復旧業界でたくさんのデジタル遺品を救い出してきた阿部勇人とタッグを組んで、この問題に取り組んでいこうと思います。

 スローガンは「デジタル遺品を普通の遺品へ」。

 暗中模索ですが、世の中に有益な実を結べるように頑張ります。

LxxE.PNG


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2016年05月06日

妻がお世話に考

 仕事にしろプライベートにしろ、妻の知り合いに挨拶するという段になったとき、脳内にはまず「妻がお世話になっております」という言葉が浮かぶ。でも、その人は別に僕のことなど関係なしに妻との関係性を築いているわけで、そこにこちらの関係性をぶち込んで「(僕の配偶者である)妻がお世話になっております」とやるのはちょっとおこがましい感じがする。日本観光している外国人に対して「私の生まれ故郷を愛でてくれてありがとう」と話しかけてしまうのに似た危うさを感じる。

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2015年10月07日

誇りセンサーがノーベル賞受賞に反応しない

 ノーベル賞のニュースでよく見る受賞者の地元の街頭インタビューでは、「誇りに思います」という声が紹介される。まぁそうだよなと思いつつ、自分はその言葉を出せないだろうなと感じた。すごいと思うし嬉しい気持ちはわいてくるけれど、同郷というだけの細いつながりだけだと、僕の誇りセンサーはオンにならない。

 誇りセンサーは、(自分を含めた)“仲間”の偉業や頑張りに反応するものだと思う。そして仲間には、主観的な仲間と客観的な仲間がいる。

 主観的な仲間は、家族や友人、職場のメンバーとか密に付き合っている仕事相手とか、自分が個別に認識している人々のこと。面識があっても、ビジネスライクな関係だったり、友人の友人のように距離があったりする場合は仲間認定は下りない。勝手に誇りに思ってしまうとなんだか差し出がましい気がしてしまう。

 客観的な仲間は、同郷や同校出身、同学年、同じ会社、同じ職業など、世間的に同じくくりにされる人たち。互いに顔と名前を知り合っているわけじゃないから他人なんだけど、距離感を気にしなくていいからこそ、気軽に仲間認定できる。

 たぶん僕の誇りセンサーは主観的な仲間アンテナをけっこう絞りこんでいて、客観的な仲間アンテナの出力は限りなくゼロに近くなっている。全開にしちゃうと、逆に“仲間”が失態をおかしたときに、いちいち恥ずかしさや責任、憤りを感じないといけなくなってしまう気がするから、きっとずっとこのままだろう。

 それでもたまに誇りを感じる機会があるので、わりと恵まれているんだと思う。
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2015年04月26日

ネット以前以後の闘病記について考察

 日本でガン告知が進んだのは、米国より20年くらい遅い1990年代と言われている。一方で、不特定多数の人がホームページやブログで情報発信するようになったのは1990年代後半から。だから、ネット上には、少し前の日本で当たり前だった「本当の病名を知らされずに闘病している」といった当事者の声はかなり少ない(※ゼロではない)。

 もし、ガン告知の普及が10年遅れていたら、ネットに溢れた情報から患者が本当の病名に気づいてトラブルになるということが多発したんじゃないだろうか。そう考えると、結構奇跡的なタイミングだったと思える。

 ライフワーク上、ネットで闘病記を読むことが多く、たまに1980年代以前に発行された闘病記を読んでいると隔世の感がある。
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2015年03月07日

意識高いは完全に死んでいる

「意識高い系」は完全にバカにした言葉として認識されていると思うけど、「意識高い」って表現は、肯定的に捉える人と、“系”につられて否定的に捉える人が半々くらいで混ざっている感じがする。

 こうなると、褒めるつもりで使っても揶揄しているように伝わったり、皮肉を込めて使ったのにポジティブに受け止めれられたりと、無駄なリスクが生まれる。2回に1回はエラーが起きる家電みたいなもので、もうどうにも使えない。褒めるなら「志が高い」とかに置き換えたほうがいいし、貶すなら「意識高い系」と“系”を明記したほうが意図が確実に伝わる。

 なので、僕の中では「意識高い」って言葉は、完全に死語だ。「障害者」や「自殺」よりも死語だ。
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2014年11月01日

「やっぱ、お前はO型だよな〜」発言のちょっと敵感

 先日、電車の中で部下っぽい男性に向かって「やっぱ、お前はO型だよな〜」と笑って話している中年を見た。別に彼は周囲に迷惑をかけているわけじゃないけれど、ぎゃふんと言ってほしい気持ちがちょっと芽生えた。

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posted by 古田雄介 at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする

2014年09月24日

遺品整理士認定協会を業界団体として扱うのはまだ駄目だと思う理由

shincho45-2014-10 亡くなった人の部屋を後片付けする「遺品整理」という仕事がマスメディアで採り上げられるとき、最近は遺品整理士認定協会が業界を代表して現状を語っているのを見かけることが多くなった。

 しかし、現在の彼らにその資格があるのかちょっと疑問だ。安易に取材先にするのは無責任であるようにさえ思う。その根拠は、今売っている『新潮45 2014年10月号』に寄稿した「急拡大する遺品整理ビジネスの内実」で言及しているけれど、それ以外にもいくつかある。ちょっとまとめてみた。

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posted by 古田雄介 at 18:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

ノイズが先かルールが先か

 電車でパソコンを開きメールチェックしつつ取材データをまとめていると、同じ座席シートの数人向こうのおじさんが携帯電話でゴニョゴニョ話しているのが聞こえてきた。内容は聞き取れないけど、口調や表情からみて、そんなに差し迫った感じもない。口元を手で覆ってはいるものの、明らかにルール違反だ。

 瞬発的にイラッとしたけど、しばらく聞いてみると彼の声は低く小さい。純粋なノイズとして評価すれば、そんなに耳にうるさくないレベルだ。目覚ましのアラームがこの音だったら間違いなく寝坊している。つまり、彼の行為は僕の耳にはそんなに迷惑を与えていない。直接的な迷惑ないのに心は苛立った。実際の被害状況を確認するより先に、「こいつルール違反していやがる」という感情が湧いたからだ。

 でも、ルール違反という意味でいえば、電車のルールはどうも公平性に欠けている。3G〜4G時代なのにいまだにペースメーカーへの悪影響云々言っているし、スマホや携帯ゲーム機のながら見を注意しつつ文庫本や新聞の読み歩きは黙認している。道理に合わないルールとストイックに付き合うほど馬鹿らしいことはない。

 そんなことを考えてみると、おじさんに対して苛立ったり悪感情を抱いたりするのは違うように思えてきた。けれども、積極的に擁護するほどおじさんに好意を抱いていないし、やっぱり真似したい行為とは思えない。まあ、ちょっとマイナス寄りだけれども、許容範囲という感じだ。

 結果として彼に対する興味がなくなったわけだけど、ノーリアクションに至る過程の心の波が個人的に面白かったのでメモ。おしまい。
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2014年06月03日

「Fワード」とか「Fxxx」とか

 スポーツ新聞とかのゴシップ記事でよく見かける、誰々が「Fワードを叫んだ」「Fxxxと言った」って表現って、ものすごくキョロ充っぽい。ものすごく嫌いだ。

 FUCKがとても下品な言葉で公共の場に出すべきじゃないっていうのは、単語のニュアンスが直接脳にブチあたる英語圏の人の考えだ。日本語圏の人間が直感的な感覚から出した結論じゃない。FUCK本来の下品さや攻撃性を感受しきれていないのに、取り扱いだけ闇雲に輸入した感ありありだ。

 なのに、さも禁忌ギリギリを攻めているみたいな感じで「FUCK」をチラリズムして、それが効果的なスパイスとなると考えて流通させてしまう。その安っぽさに、表面上だけあわせてはしゃぐキョロ充の醜さが色濃く出ている。

 色んな懸念を吹き飛ばしてそのまま「FUCK」と書くか、「犬畜生にも劣る発言」的なカストリ誌調のオリジナルな罵詈を作るほうが、絶対に素敵だと思う。
posted by 古田雄介 at 14:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

「無への道程」が構築した、他人が入り込めない自殺の舞台

 冗談じゃない雰囲気で「死にたい」と漏らすブログは、リスカとかと同じで、誰かに助けを求めているところが多分にあると思う。だけど、200日以上前から自殺日のカウントダウンを続けてきた「無への道程」の人には、ちょっと違う印象を受ける。

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posted by 古田雄介 at 16:43 | Comment(10) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする