2015年10月07日

誇りセンサーがノーベル賞受賞に反応しない

 ノーベル賞のニュースでよく見る受賞者の地元の街頭インタビューでは、「誇りに思います」という声が紹介される。まぁそうだよなと思いつつ、自分はその言葉を出せないだろうなと感じた。すごいと思うし嬉しい気持ちはわいてくるけれど、同郷というだけの細いつながりだけだと、僕の誇りセンサーはオンにならない。

 誇りセンサーは、(自分を含めた)“仲間”の偉業や頑張りに反応するものだと思う。そして仲間には、主観的な仲間と客観的な仲間がいる。

 主観的な仲間は、家族や友人、職場のメンバーとか密に付き合っている仕事相手とか、自分が個別に認識している人々のこと。面識があっても、ビジネスライクな関係だったり、友人の友人のように距離があったりする場合は仲間認定は下りない。勝手に誇りに思ってしまうとなんだか差し出がましい気がしてしまう。

 客観的な仲間は、同郷や同校出身、同学年、同じ会社、同じ職業など、世間的に同じくくりにされる人たち。互いに顔と名前を知り合っているわけじゃないから他人なんだけど、距離感を気にしなくていいからこそ、気軽に仲間認定できる。

 たぶん僕の誇りセンサーは主観的な仲間アンテナをけっこう絞りこんでいて、客観的な仲間アンテナの出力は限りなくゼロに近くなっている。全開にしちゃうと、逆に“仲間”が失態をおかしたときに、いちいち恥ずかしさや責任、憤りを感じないといけなくなってしまう気がするから、きっとずっとこのままだろう。

 それでもたまに誇りを感じる機会があるので、わりと恵まれているんだと思う。
posted by 古田雄介 at 15:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする
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