2011年04月05日

僕が『ミツバチの羽音と地球の回転』を観なかった理由

 インディーズ映画好きの姉に誘われて、先日『ミツバチの羽音と地球の回転』という映画を観に行った。山口県の島に持ち上がった原発建設計画を巡る、28年来の住民による反対運動を追ったドキュメンタリー映画で、原発や核兵器の問題提起で注目を集める鎌仲ひとみ氏が監督を務めている。2010年に封切られた作品だが、偶然にも題材がタイムリーなものとなったため、人気が急上昇しているらしい。僕らが映画館に着いたときには昼の部がすでに満員だったので、その後に予定されている監督のトークセッションを先に観て、夜の部のチケットを買うことにした。

 で、そのトークセッションがすごかった。

 鎌仲監督のトークはまあ普通だったと思う。映画を作った背景や製作中の苦労、現在の原発運営に関する問題提起などを素朴な口調で簡潔に語ってくれた。すさまじかったのは、その後の質問コーナー。最初に挙手した40代くらいの女性は、枕詞のように映画に対する美辞麗句を並べたあと、「監督も女性ですし、やっぱりこれからは女性の時代です」といきなり持論を展開。色々な例を挙げてベラベラしゃべった後、「男性に任せる社会は今みたいな隠蔽体質を生むと思うんです」と結んで、一曲やり終えた歌手みたいな顔をしてようやくマイクを離した。次にマイクを握ったのは、初老の淑女。やはり美辞麗句を冒頭に連発したあと、「私、NGO団体に参加しているんですけど、今度フォーラムを行います。よかった皆さん来てください」と締める。その後も老若男女問わず、様々な人の口から、似たような雰囲気のマイクパフォーマンスが繰り返された。

 ほとんど質問の出ない質問コーナー。マイクを握る人のイっちゃった眼差し。ときに自然とわき上がる拍手――。たぶん、題材と時期の重なりが悪かったんだと思う。知的好奇心を満たそう、何か学ぼうといった目的ではなく、持論を補強するための鎧として映画を観に来たアホが大量にいたみたいだ。普通の感覚で鑑賞した人も多かっただろうけど、トークセッションというフィルターによって、なんか濃縮されちゃったっぽい。

 あまりに双方向性のない雰囲気が見事だったので、しばらく質問者ウォッチに集中していたんだけど、気鋭のドキュメンタリー映画監督の話が聞ける機会は貴重なので、僕も(いや、僕「は」)質問してみた。反体制側から問題提起する人に常々聞いてみたかったのは、自分が扱う情報の選定方法。たとえば、チェルノブイリ原発事故は、死者数が数100人とも数万人、数十万人とも言われている。政府を含めて色々な調査団体が、人数を推定するために様々な統計や調査を参考にしたと思うんだけど、資料のなかにトンデモ系が混じっていることもある。そうしてまとめられた玉石混淆の推定値のなかで、説得力があるのは確かな資料だけを採用した客観的に公平なものだろう。鎌仲監督はトーク中に、政府や電力会社発の情報に対する不信感を何度も口にしていた。じゃあ、その反論として作った映画に説得力を持たせるために、どんなデータをどんな選定方法で採用したのか。そこに興味があった。

 「放射能被害を推定するデータはたくさんありますが、鎌仲監督はどんなデータをどういう理由で採用しているんですか?」

 だけど、鎌仲監督からはきちんとした答えが返ってこなかった。「日本は死因をごまかせるから、比較的死因をしっかり残す仕組みのアメリカのデータが参考になります」というものの、その他の例示や自分なりの情報選定のルールなどは語らず、最後は「放射能は様々な身体の不調を呼ぶものなので、本当に気をつけなくてなりません」と強引にまとめられた。別に仕事じゃないし、厳しい追及なんてする気はないから、僕もにこやかな表情を作って「分かりました。ありがとうございます」とマイクを離したけど、軽くショックだった。

 鎌仲監督は劣化ウラン弾が飛び交う戦地を取材するなど、すごくハードな生き方をしている。その生き様は否定しない。だけど、自分で集めた情報を元に世間へメッセージを送る仕事人としては、ちょっと不誠実だと思った。別に分からない部分があっても構わないんだけど、分からない部分を自覚するのが重要じゃないか。たとえば、「放射能被害のデータは実際よく分からないから、現場で自分が見たことしか言わない」とかでもいい。そうやって切り分ける姿勢が誠実だと思うんだ。確固たる線引きを持っている人なら、突然の質問だったとしても、ポリシーの片鱗はみせてくれるはず。なのに、まったくかみ合わなかった。

 だから疑念がわいてしまった。もしかしたら、「原発は悪だ!」という仮説が事実か確かめる段階を省いて、仮説に真実味をつけるために都合の良いデータをあてがっているだけの映画なのかもしれない――。そう思うと、とてもじゃないがセッション後の映画を観る気分になれなかった。僕は純粋に資料としてドキュメンタリー映画が観たいだけなのに、恣意的なデータで資料性が歪められた可能性のあるものなんて観たくない。

 ・・・てことで、結局映画は観ずに帰った。でも、何の根拠もなく持論を盲信できる人々をリアルで体験できて、自分の商売道具をきちんと説明できない人に対する残念な気持ちも勉強できたので、かなり充実した一日だったのは間違いない。いつか時間が経ったら、DVDか何かで『ミツバチの羽音と地球の回転』を鑑賞したいと思う。そのとき、鎌仲監督にごめんなさいと言える作品だったら嬉しいな。


------------------<追記・・・4月8日>------------------

 鎌仲監督(@kama38)がこのブログを読んで感想を書いてくれたので、それを受けてツイッター上で先日途中で止めた質問をさせてもらいました。そのやりとりのまとめです。※監督から転載の許可はもらっています。

監督(のツイート) @n_waka @genthalf 今見ました。たった数十秒で答えなくてはならない場でそう思われたならしょうがないし批判は自由です。にっこりしないでもっとつっこむかあるいは終わった後に声をかけてくれれば良かった。私は被曝についてデータではなく現場の現実が大事といい続けているので。

古田 先日の質問者です。限られた状況でのご回答でつるし上げのような格好にさせてしまい、申し訳ありません。よろしければ、改めて質問させてください。現場や文献で得た情報のうち、採用する情報としない情報は何を基準に線引きされますか? お手隙のときに教えていただけると幸いです。

監督 一口に情報といっても多様。例えばインタビューして個人がそうだと信じている情報がある。しかしその情報に関しては他に異論がないか探します。判断するのは私の直感にあるのではなく数多の情報の中で保守から極論までを俯瞰してから判断します。しかし例えばアメリカ政府は劣化ウラン弾の被害を否定しています。莫大な予算をかけて疫学調査をしたり、実験のデータも作成しています。一方、被害者に会っていくとそのデータでは説明できないものがあるんです。現実はデータを凌駕している。アメリカ政府の見解に疑問を抱く科学者たちが研究を進めたデータもあります。これらの研究にはお金がかかる。在野の研究者には弾圧もある。それでも実証的なデータが出てきている。それは被害者自身や現場からの聞き取りなどが重要視されている。ただの数字ではない。誰がそれを言っているのか、いったい何者が、何を目的にして研究しているのかを数字や情報の向こうに見るということも大事にしています。 長くなりました。

古田 真摯なご対応、ありがとうございます。話を聞く対象の選定についても聞かせてください。現場には様々な立場、様々な個性の「リアル」があると思います。平均的な声や、多勢を反映した声、少数でも外せない声など。その全体像を把握したうえで対象を選ぶコツやノウハウがあれば、教えてください。なお、質問に変な意図はありません。私は全然別の業界で取材等をして記事を書く仕事をしていますが、ハードな分野の第一線で活躍されている監督の視点を学ばせてもらえる機会を得たので、不躾ながらお言葉に甘えさせていただきました。よろしくお願いします。

監督 私が心がけているのは自分は何も知らない無知な一人の人間としてまっさらな気持ちでひらばで人に出会うことです。限界のある中でやはり縁と人と人との結びつきで周りに助けられるばかりです。

古田 なるほど、偶然出会う人が多数派か少数派かといったことはあえて考慮せずに、現場で同じ視点に立って取材されるスタンスなんですね。僕は全体像が見えないと不意に偏りそうで不安になるなので、無作為に色々な人に話を聞いたりして空気感を知ろうと考えます。そういう不安はあります?

監督 もちろん不安ですが、まあ楽天的にもう相手の懐に飛び込んでまな板のうえの鯉ですね。

古田 なるほど。スタンスを教えてくださり、ありがとうございました。

------------------<追記・・・4月18日>------------------
後日映画を観たレビュー


------------------<追記・・・7月7日>------------------
スパムが増えてきたので、コメント欄を承認制に戻します。
posted by 古田雄介 at 01:37 | Comment(63) | TrackBack(1) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
僕は原発反対論者で、今回の原発事故におけるメディアの情報リテラシーのに大変興味があります。
被爆における影響というのは、長期に渡って広範に及ぶため、被害の実数を難しい。なので、最悪の想定をするのが無難なのかなと思ってます。
今回、古田さんが映画を見ずに帰ってしまったのは古田さんの情報リテラシーの甘さを見せられた気もします。
話を聴いて、映画を見た上での言葉でないとやはり納得出来かねる。
ババアが盲目的に恐怖しちゃう原発の意味をもう少し考えてほしかったなー。
Posted by 江原 at 2011年04月05日 14:31
>江原さん
こんにちは。

 被曝の影響は確かに未知数な部分が多いようですね。そこで「最悪の想定」を示すのは意義があると思いますが、その意義と、「最悪」という基準を示す行為は別ものだと思います。どこかの学者が裏付けなしに語った仮説を盾にしたり、特定団体からの圧力が認められる資料を元にしたりしているなら、他のデータがどれだけ説得力を持っていても僕は信じません。

 もちろん、この作品がそうだとは断定する気はありません。ただ、質問に対する監督の回答から「筋の通った情報選定をしてないんじゃないか」という疑念が生まれたのは確かです。そういう目で映画を観てもつまらないじゃないですか。だから回避しました。ただ、作品を観ずに監督の評価を決めるのはフェアじゃないと思うので、とりあえず『ヒバクシャ』のDVDを買おうかなと思ってます。またいつかブログでレビューしますね。

 ちなみに、僕個人は社会問題的な目で原発問題を観たり論じたりする気はまったくありません。僕の放射能や原発に対する興味は、子供の頃にTVで観たチェルノブイリ原発事故の怖さが原体験になっていて、その怖さを色々な角度から味わう目的で関連情報に触れているだけです。いうなれば趣味っす。

 だから、ハリウッド映画を観るのと同じ感覚なんですよ。「この映画面白そうだな。でも、上映前に監督がちょっと興ざめなこと言ったな。そんなこと言う監督の作品ならつまらないんじゃないかな。とりあえず観ずに帰るか」って感じです。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月05日 15:43
承認制だと反論しづらいと思うので、この記事だけコメント欄を開放しました。色々な意見をくださいね。

※でも、開放しながら新規にコメントがつかないと恥ずかしいので、夜までに何もなかったら元に戻しますね。恥ずかしいので。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月05日 16:00
古田さんはドキュメンタリーを公正忠実な「正しい」客観的事実を述べるものだとお考えのようですね。
私はドキュメンタリーは、作者の恣意的な主張を発表する場で、ハリウッド映画なんて簡単に凌駕できるプロパガンダを発露できる一つの表現方式だと思っています。皆、真実を伝えていると思い込んで見るものだし。。
だけれど、ドキュメンタリーも映画なんです。
だから、監督の主張の善し悪しなどどうでもいいし、狂ってれば狂ってるほど面白くなったりします。
そして、どんな映像の中にも意図出来ない演出(真実)が紛れ込むこともある。
だからこそ、映画は見なくてはなりません。そして、発言しなくちゃ。
今回、原発の怖さを味わう興味があったのなら、なおさらだと思います。
面白い発見があるかも、ないかもしれません(笑)
ま、俺ははなから見ないと思いますが。どちらにせよ原発反対なんで。
Posted by at 2011年04月05日 17:11
上の投稿、名前書くの忘れました。
Posted by 江原 at 2011年04月05日 17:12
見なきゃ、だめじゃん
Posted by なすび at 2011年04月05日 19:19
僕もこの状況だったら見ないで帰ると思います。
もやもやしたまま見て、正直それで何か感じるのは難しいです。
Posted by アモ at 2011年04月05日 19:34
今回の震災で一番残念で怒りを覚えたのは反原発派のTwitter/mixiの使い方でした。

私も原発のことが気になり検索をかけて情報を集めていたのですが、明らかに扇動を目的としたような時に誤った情報を含む(意図的にすら見えました)文章を【拡散希望】と文頭につけ流していたのを多数見つけたからです。

震災でみなが不安なのをいいことに、あることないことを書き広めていたのをみて、単純に反原発の力になればと考えているように見受けました。

原子力、放射能については普通の人はわからないことも数多く、情報を得るために検索した人も多いと思います。
『福島では半数くらいの人が鼻血を吹き出し頭痛に苦しんでいるというとんでもない内容を「知り合いの知り合いから聞いた」』
という内容のメールを、知人から送られたこともありました(この情報の出どころもやはり反原発をプロフィールに訴えていたTwitterアカウントから見つけました)

私は環境に配慮した代行発電が早く確立すればと考えていますが反原発派の活動に怒りを覚え、まるで原発推進派と周りから思われるほどのtweetを連発してしまいました。


映画の会場でお感じになった違和感が私には感じられる気がします。
大切な問題なので、冷静に素晴らしいデータを基に真剣に話し合っていかなければならないと思います。

娯楽としてのドキュメンタリー映画であればどのような内容でも構わないと思いますが人に与える影響を考えながら作るのであれば中立の眼で真実を見据え自分の目線で映画を作るのがドキュメンタリー映画の本質だと思います。

意地悪な見方になってしまいそうですが、ミツバチの羽音と…観てみたいと思います。
そして人に進めたくなるような作品だといいなぁ。
Posted by 石くん at 2011年04月05日 20:00
ライターというご職業から出た正直な感想、なかなか良いなと思いました。
世間との関係性を横軸、自分独自の視点/感性を縦軸としたら、先ず縦軸を示す(勇気の要る)お仕事ですもんね。ゆえに、先ず横軸ありきな人々にはピンときちゃうんでは?
 このご時勢、横軸がものすごい勢いを増す中で、個人個人が縦軸をしっかり(下にも上にも)張ってくことも、大切だと感じた次第です。
Posted by チェブ at 2011年04月05日 20:39
はじめまして。『ミツバチの羽音と地球の回転』は未見、2003年に『ヒバクシャ――世界の終わりに』を見ました。
『ヒバクシャ』は鋭いテーマで、それまであまり想像しなかった現場の取材など、なかなか見応えがありました。ただ、作中のデータが、登場する肥田医師という方の作成したデータにのみ依拠しているように見えたので、映画のあと監督に聞いてみたのですが、他のデータによる補強はしていないようでした。「劇中のデータをサイトで公開すると説得力が増すと思います」というような感想を伝えました(その後どうなったかは未確認)。
せっかくパワーのある監督さんなんだから、そこのところをもう一歩詰めてくれたらなあ、と思います。
Posted by 松永洋介 at 2011年04月05日 20:56
佐々木俊尚さんのTwitter経由で Blogを読みました。
私はまだ、原子力について勉強不足なので、反原発と言い切れません。が、何ヶ月か前にミツバチの羽音と…の映画をひょんなことから見ています。
私が見たのは、反原発というよりは、祝島という小さな島があり、そこに原子力発電所が建設計画があり、それに反対している人たちの生活や、海、漁師、農家の親子の話、過疎の問題…です。正直、島にいる原発賛成派の人ももっと映して欲しかったなと思います。もし、原子力発電所がやっぱりもっと必用になったとして、その時には、そこに住む人々が手放すものがあるということを知れたことはよかったと思います。ちょっと長過ぎて正直眠ったとこもあり、疲れて上映後のトークは聞かずに帰ってしまいました。でも、見てよかったかなあ
Posted by 西原くみ子あ at 2011年04月05日 21:08
映画を観ずに(観た事が前提の)トークセッションに参加し、それのみ評価する事に違和感を感じます。NGO/NPO関連に変なババアが多いのは知ってるけどね。
Posted by cretinino at 2011年04月05日 21:09
興味深く読ませていただきました。
私はなんの前知識もなしに、映画を観たものです。これから映画をご覧になるかもしれないので、あまり具体的には言いませんが、私は反原発を狂信的に謳っているとは感じませんでした。
ただ、良いな、と思える部分もあったけど、撮る側の姿勢に首を傾げる部分もあったので、その違和感の正体が少し見えたような気がしました。ドキュメンタリーなのに、言いたいことありきでそのために構成があるような。無意識の決めつけ、が見え隠れしているような。もしかしたら「反原発」と関係があったのかもしれません。
でも、映画に出てくる祝島の、ごく普通の人々は、そんな思惑を超えてとても素敵でした。機会があれば、是非感想をお聞きしたいです。
Posted by さら at 2011年04月05日 21:12
私自身は、1988年の八ヶ岳で行われた命の祭り副題No Nukes One Loveの参加者ですので、もちろん脱原発です。吉田さんの記事を読んでとても誠実なご意見だと思いました。多分皆さんコメントされている方も男性なのだと思います。原発がなぜしっかりとしたデータも出ていないような場所でも、感情論的にNOといわれているかは、理性を超えているからです。原発の問題は、母性を脅かす染色体などの生物学的なデータがまだ未熟なことに起因しています。子供を産む妊婦や、母親にとって、乳幼児や子供たちの未来がかかっていることなのです。事故が起きた時の被害が大きいといわれている原発に対して、女性達は理論的な事柄では納得できない本能的な危険を感じるのです。染色体の破壊で奇形児の可能性が多くなるなど、小児がんで自分よりも先に子供が死んでしまうなど、
原発は母性に対する脅威なんです。イノチを産み、守り、育み育ててゆく母性が悲鳴をあげているのだとご理解ください。
Posted by 早苗ネネ at 2011年04月05日 21:51
はじめまして。突然の冗長な駄文、失礼致します。

吉田さんは「人と仕事」の在り方において残念だったのではないですか?映画の主題は関係ないのですよね。
吉田さんにとっての原発問題があって、それにフィットする回答が、鎌仲監督から発せられなかったことは確かです。
または吉田さんの質問の意図に誠実に向き合うという姿勢が監督になかったのは、悲しい事です。


私が思うに、鎌仲監督が口にする「不信感」は、この数週間の出来事に対しの憤りなのではないでしょうか。鎌仲監督の前作「六ヶ所村ラプソディー」は拝見しましたが、「その反論として作った映画」とは感じませんでした。「原発という厄介ものが巻き起こす人生悲喜こもごも」を提示していただけでした。推進、反対、両者の生活に向けられた眼差しがあっただけです。この時、あまり数値は関係ありません。「生き様」という視点ですから。

それを観て、観客は「原発まずいよな」と感じるのだから何がしかの煽動はあるのでしょう。

ちなみに「六ヶ所村」はフツウにドキュメンタリですが、「ミツバチの羽音」はエンタメタッチの映画のようです。拝見していたらまた違ったところで激怒もたったかもしれません。

私が気になる事は、誘ってくれたお姉さんが一緒だったのなら、置いて行かれたにせよ、共に帰ってきたにせよ、吉田さんの行動はお姉さんになにか具体的な感傷を与えたのではないか、ということ(笑
Posted by ケンケン at 2011年04月05日 21:51
あーーー古田さんだーーーーー!
誤字数カ所も、、、やっぱダメだわオレ、、、スマン。
Posted by ケンケン at 2011年04月05日 22:43
ちょっと思った事を書かせていただきます。

わたしは、原発はあってもなくてもよいです。ただ 、電気を使う生活をしてるので、
原発反対派には「なれない」と思ってます。

と言っても、賛成派でもありません。
わたし自身は被爆して死んでもかまいませんが、こどもやその他の人達にはよくないことですし。

ドキュメンタリーというのは、わたしは製作者側の「自慰番組」だと思ってます。
だから、見たければ見るし、見たくないのは見ません。
もちろん、製作者も作りたくなければ作らないし、作りたいから作ったんでしょう。

それぞれにいろんな見方があると思います。
そのなかで多数派になる見方が「セオリー」になるんではないでしょうか。

ただ、その見方がほんまに正解かどうかは…わからんですよね。

しかし、ああ
いううっとうしいババァはいらんっすね。
Posted by まもまも at 2011年04月05日 22:49
既に指摘していらっしゃる方もおられますが、現代のドキュメンタリーは「事実も歪みなく伝える記録」とは全く別のものと捉えた方がいいように思います。

オウムのドキュメンタリー「A」「A2」を撮った森達也は、自著「ドキュメンタリーは嘘をつく」で、
”一般的にドキュメンタリーは制作者の意図や主観を含まぬ事実の描写、劇映画 (Drama film) ・ドラマは創作・フィクションであると認識されているが、本質的に差はないと指摘”しているそうです。
また、
"ドキュメンタリーは制作者の主観や世界観を表出することが最優先順位にあるのに対して報道は可能な限り客観性や中立性を常に意識に置かなければならないという違いがあると述べている。"とも。
Posted by JJ at 2011年04月05日 23:01
今帰宅しました。
書き込みありがとうございます。
順番に返信しますね。まずは4件。

>江原さん
 なるほど。確かに完全な中立性は難しいですね。あと、狂った映画も大好きです。今回は資料性を期待していた前提があったからこそ、疑念を感じたんだと思います。

>なすびさん
 映画のレビューをするならそうですね。でも、観なかった理由を分析したかったんです。

>アモさん
 ちゃんと評価できないだろうなと思ってしまったんですよねー。たぶん鎌仲監督の傾向をちゃんと学んだ上なら、切り捨てる情報と参考にする情報が区別できるでしょうから、(こういうブログを書いたのもあるので)過去作品を観てから鑑賞したいと思います。

>石くんさん
 不安を煽るのって、自分で情報を取捨選択できない思考停止な人を踊らせる手法だと思うんですよね。自分で考える人には警戒され、考えない人だけついてくるっていう。どんな主義に立つにしろ、それで勢力の頭数だけ揃えようとする人には、僕も虫酸が走っちゃいます。
 エネルギー問題については僕は意見を出せるほど知識がないので態度保留の立場ですが、クリーン化に進むにしろ、その原動力が風評によって拡大した民衆の声ってのは悲しいと思いますね。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月05日 23:17
講演会での質問のやりとりで、不快に思われたのは残念でしたね。
自分もイベントをやる人間なんですが、質問タイムが自己主張で終わってしまうのは、普通の日本人にとって自分の想いをアウトプットする場所がないからだと思ってます。
ある1点でも、意見が合わない人間とは仲良くできない民族性なんでしょう。身の周りの友人が、「自分と違う考えを持っていたら嫌だ」→「もうあいつとは仲良くできない」と、その意見を持った人間を否定してしまう。遠ざけてしまう。簡単にいうと、欧米での議論がケンカとして捉えられてしまう。サンデル先生の人気はテレビだからこそ。日本であんな授業やってても、学生はちょっとしか集まらないでしょう。
しかし、それはとても残念なことです。あなたにも当てはまりますが、どこか違うものを持つ人、持つものこそ、自分の中にない発見をもたらします。

前置きが長くなりましたが、いよいよ本題。
実際、自分は原発反対派ですが、この映画はそういう賛成反対論を越えた、日本における民主主義の在り方がテーマになってると思います。

監督とも何度か話していますが、そういうものがこの最新作に込められたものであると思います。

そこで、民主主義の通貨とも言われるほど大事な情報公開の不備、すなわち今の政府、東電に対しての不快感を示していた。
で、実のところ鎌仲監督はヒバクのデータの細かい所は気にしていないのだと思います。専門家でも意見が割れる、というか推察でしかないものをいち映画監督が追いかけてはいないでしょう。

原発はエコで安全で、オールOKの教育を受け続けた人にとってためになるし、疑念を抱く相手の作品だからこそ見るべきだとは思います。
日本中でケンカではなく、議論が起こることを期待しています。
Posted by 見た人 at 2011年04月05日 23:44
>チェブさん
 ありがとうございます。世間のニーズや不安に囚われすぎると「右向け右」や「右向け左」的な考えになってしまうので、距離を置いて一次元的に物事を判断しないようにしています。まあ、自分の脳内まで周囲に振り回されるのが嫌なんすよ。

>松永洋介さん
 はじめまして。僕も、鎌仲監督が放射能問題に出会った作品ということで『ヒバクシャ』から観てみようと思いました。毒抜きの参考にさせていただきますね。

>西原くみ子あさん
 周囲の人の生活レベルまで落とし込んだ取材は観るのが楽しみですね。おっしゃるストーリーだと、僕も西原さんと同じく「賛成派もいるんじゃないの? 賛否の割合はどれくれいなの? 属性別の偏りは?」とか気になるだろうなと思います。

>cretinioさん
 そこはおっしゃるとおりですね。このまま観ずに逃げるのはフェアじゃないと思うので、『ヒバクシャ』と『六ヶ所村ラプソディ』を鑑賞したあとに改めてレビューしたいと思います。仕事の合間になるので、ちょっと時間が空くかもしれませんが・・・。

>さらさん
 了解しました。必ず鑑賞後のレビューも書きますね。

>早苗ネネさん
 僕にない視点でのご意見、本当に勉強になります。ありがとうございます。僕は放射能が「なんとなく怖い」という原体験から、その怖さを味わいたくて説得力のある情報を求めている感じなんですよね。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月05日 23:46
こんにちは。ツイッターからこちらを拝見しました。
映画を観ずに帰ったこと、よく気持ちがわかります。私も同じ気持ちになったであろうと思います。
いわゆる反体制派の人たちの集まりにはいままで数多く出てきました。
いつもではないのですが、数多く『なんだこの人たちは。。』と気持ち悪くなることが私にもありました。
ちょっとした新興宗教の人たちと同じ匂いがすることが時々確かにありました。
ですから、私は究極のところではいかなる反体制の組織も団体も信用していません。
また、いかなる組織にも属していません。

正確な情報と真摯な態度であくまでも『知的に正直に』活動をしなければ、どんなに動機自体が正義のためであっても人には理解されませんし、かえって反感を買ったり誤解を得たりしてしまうと思います。

ヒステリックにギャーギャーとわめくおばさんやおじさんたちを私もよく見かけます。
が、その一方で静かに淡々と知的に語る人も中にはいるようです。

原発を支持するか支持しないか、それはその時点でのその人の経験値や知識や人生観などで決まるのかもしれません。

私は大学で原子力発電所について研究していました。
ただ、淡々と。
で、知れば知るほどその危険性に驚愕しました。

原発を支持する方も支持しない方もほとんどの方は、知識としてはあまり詳しくないというのが実情だと思います。

それはある程度仕方がないことです。

ただ、考え方としてはこう思うのです。

例えば民主党を支持するか共産党を支持するか、それはそれぞれいろいろな考え方があるでしょう。好きにすればいい。

なぜなら、違うと思えば、また次の選挙で選びなおせるからです。

しかし、原発については一度つくってしまうともう後戻りが効かない種類の問題なのです。
不可逆性を伴う問題なのです。
だから、慎重にも慎重を期して考えていかなければならないものなのです。
遺伝子操作と同様の種類の問題なのです。

ちょっと本題からはずれてしまいました。

知的に謙虚さが少し足りない人たちにかこまれて、本当に不快な思いをされましたね。

ただ、こんなふうに不確かで愚かで無知で傲慢な人間社会に私たちは生きているのだと思います。

正義をかざす人たちが愚かだと特によく目立つんですけれど。

私も、頻繁にこの手の人たちに不快にされますので何度も言いますがよく気持ちが分かります。

中途半端になりましたが、ながくなるのでこの辺で。
読んでくださりありがとう。
ツイッターでは fumifumitakafumi です。
リンクのさせ方がわかりません。すみません。では。
Posted by 木村隆文 at 2011年04月05日 23:50
>ケンケンさん
 人の仕事の在り方もそうですが、「アウトプットする責任」というところが引っかかったんだと思います。自覚的に反論の余地を残すような情報選択をしているなら、受け手は作り手の傾向を判断材料にして映画が楽しめますが、無自覚に都合のいいデータを集めて作ったものは「アク抜き」みたいなことができないから、鑑賞に堪えないんですよ。僕の場合。
 でも、ケンケンさんのコメントから『六ヶ所村ラプソディー』への興味がよりいっそうわきました。ありがとうございます。姉は・・・申し訳ないっす(でも、断りは入れました)。
 名前は気にしないでください。小学校の頃から慣れています。大丈夫っす。

>まもまもさん
 作品に対して、色々なことを求め過ぎていたのかもしれません。個人的に作為的なデータ選びは反則だと思っているので、それだけはなしにしてほしーなーと思ってしまうんですよ。
 目がイッちゃった紳士淑女は、ウォッチ対象としてはなかなかのもんです。まあ、関わり合いは嫌ですけど。

>JJさん
 うーん。確かに主観が強く入るのはいいんですけど、その主観を正義に見せるために都合のいいデータだけ揃えるのは反則だと思うんですよね。ギャグでやるんじゃなければ。でも、求めすぎなのかなー・・・。色々なドキュメンタリー映画を観て、勉強してみます。

>見た人さん
 「細かいデータは気にしてない」なら、それを言って欲しかったんですよ。知らないことを自覚しているか否かで、作られるものは大きく変わると思うんです。チェーンソーを扱えないと知っている人は使わないでしょう。どれがチェーンソーか見分けがつかないのにスイッチを入れたら、大けがする可能性があります。鎌仲監督は自覚していたかもしれないですが、僕はそう受け取れなかったんです。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月06日 00:18
「僕は純粋に資料としてドキュメンタリー映画が観たいだけなのに、恣意的なデータで資料性が歪められた可能性のあるものなんて観たくない」ということは、歪められてない「事実」が存在するということが古田さんの前提になっているのでしょうか?

私の考えとしては、現実を切り取る時点でその人の視点が入ってくる。それをどこまで採用してどこまで捨てるかは、受け手のメディアリテラシーの問題だと思います。
「恣意的なデータで資料性が歪められた可能性のある」と思ったら、ご自分で実際に映画を観て扱われているデータを検証なさってみれば良いのではないでしょうか。
「正しい事実」か「歪められた嘘」の二者択一しかないわけではないと思います。
Posted by 織田 at 2011年04月06日 00:42
初めまして。

私は、昨年この映画を見ました。

どういう構成で反原発を表現しているのか、興味がありました。
こんにちのこの事態になる迄、そもそも、原発のことをよく知らずに、です。
小さな子を持つ母親なので、社会問題や環境問題などに興味はありましたが、反原発の活動家ではありません。

観賞後から、災害が起こる迄の間、この映画で知ったスウェーデンの電力事情は、原発に偏って依存している多数の意識に、新しい情報と提案がもたらされるであろうと考えていました。

災害が起こってから、幸か不幸か、TVで報道されていない原発の情報が次々と舞い込み、祝い島の住民と、中国電力の船上のやりとりのシーンを思い出し、いち早く原発を止めるべきだと考えて、制作会社に、「個々が電力を選択して購入することができている国が存在している事実を映画の一部を編集してアップして欲しい」とお願いしました。
残念ながら、それは叶いませんでしたが、昨日、もう原発を推進することに反対をしたり、ヤキモキしなくても、エネルギー事情は移行するであろうと思われる動画を見ることができました。

ジャーナリズムが崩壊していると言われる日本の、世界からも疎まれて久しいと言われる、日本記者クラブに変化が起きているような、動画です。


女性的な考え方と、男性的な考えは、ちょっと違うと思うので、ミツバチ〜の監督の方が訴えたかったのは、「人として、どうですか?」という問いの映画のような気がします。

今迄の推進する側、必死に反対する側、いずれにせよ、原子力は、気が違っているかのようにしがみついてしまう魔物のような存在であるのかもしれません。それゆえに、引きつけられ、能っちゃう人が、異様な人達と思われる気がします。(これは、女性的考えからの憶測と思ってご容赦ください)

災害が起きたことで、ある程度事実を知って、危険であることに間違いはないとは、断言できるようになりました。

かくゆう私も、変なおババなのかもしれませんが、ご参考迄に、動画をご覧になってください。


飯田哲也氏が日本記者クラブで講演http://www.ustream.tv/recorded/13786264


では、ご自愛ください。
Posted by いけだ at 2011年04月06日 01:25
私も同じ日に同じ場所でトークイベントに参加しました。映画見る前でした。
私自身は原発反対派でも賛成派でもなく質問もしませんでしたけど、内容はよく覚えてます。「若い男性は珍しい」といって監督に指名されてましたよね。

で、「イッちゃった紳士淑女」ですけど、私の視点は古田さんとは違います。
最初の女性は、狂牛病の報道を例にあげて、日本とフランスのメディア体質の違いを指摘しましたよね。ここがあの方の話のコアだと捉えました。原発反対みたいな意見はなかった。フェミニスト的な主張は確かに?だったけど、これまで職場とかでもとんちんかんなタイミングで男性について同じような主張をするおじさんとかゴマンといて慣れてるので、性が逆だからといってそこまでびっくりするものでもなかった。なので心にとめずスルー。
古田さんは書いてないですけど、「万が一身に危険が生じるようなことになったらどうしますか」「ここは川崎市の施設なのに、上映に際し問題はなかったのか」みたいな質問もありましたね。あと「子供への影響は大丈夫か」「テレビで安全と言うが、監督は安全でないと思うか」みたいな問いもあって、言うほど妄信的な原発反対派が集まってお互いの信念を深め合う集まりのような物ではなかったという印象です。質問の場で感想や意見を言ったっていいんじゃないですか。しかもこんなタイミング。多少熱が入るのも自然なことでは。
ちなみに最後の広島の被爆者の方の声を、「似たような様子のパフォーマンス」に含めちゃいます?

まあ古田さんの質問への監督の回答には、私も肩透かしをくらったような思いはあります。

で、映画はみました。
別に政府や東電の情報への反論じゃないです。
原発に反対して新しいエネルギーに挑戦したい人たちと、それを実現している&しようとしている人たちの話です。
実際に自然エネルギーにシフトするためのモデルプランを打ち出してる研究者がいることを知ったのは有意義でした。それまで原発がないと経済成り立たないと思ってたので。

つらつらと書いてしまいましたが、違和感を感じる場でも、そこに自分にとって有益な情報は隠れてるのかもしれない。ネット上の膨大な情報から必要なものを選ぶように、リアルな世界でもいらない物は右から左、でいいのでは?
トークに圧倒されて映画はパス、はちょっと残念です。
Posted by cheeky at 2011年04月06日 01:44
はじめまして。はてなブックマークを辿って、このブログを知りました。

私も古田さんと同様、観ないで帰っちゃうと思います。「それは悪。決定」みたいに断定されると、面倒くさくなります。有益な情報が含まれているかもしれない…としても。誠意というのは言葉以外の行間からにじみ出てしまうもの。議論での勝敗は関係ないと思います。

私はただ、「調子に乗ってんじゃない?」と言われた時、素直に「そうかも」と言える自分でいたい…それだけです。古田さんが居合わせた『その場』に、「そうかも」と言える人がいたでしょうか…
Posted by foussin at 2011年04月06日 03:59
これを佐々木さんがツイートで紹介してホリエモンがリツイートしてる。複数のフィルターがかかって、このブログ自体ある意図のもとに書かれたのかなと思った。
Posted by ヒロ at 2011年04月06日 08:03
古田さんの仰る意味、すごくわかります。
この原発事故が始まったときから、たくさん調べて考え、私も同じモヤモヤを持っていました。
自分たちの「正しい」結論のために情報操作をされたら、その後どんなに正義を語られても、もう信じることはできません。
また、この問題(?)を考えるのに、私はこの記事も参考にしました。
囚人のジレンマ:http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?P=1&rt=nocnt

ヒバクシャ、観てみようと思います。
もしかしたら、ミツバチ〜も。
Posted by hana at 2011年04月06日 09:12
>「原発は悪だ!」という仮説が事実か確かめる必要がある。

本気ですか?

福島原発の事故が、日本人の生命、国土、経済、文化に壊滅的な被害を与え日本が未曾有の存亡の危機にあるというのに、事故被害の拡大をくいとめるために大勢が命を削るような被曝作業に立ち向かっているさなかに、本気でそんなことをおっしゃっているのですか?

日本の将来にどんな責任をとる覚悟があって、原発が悪とは言えないと書いているのですか?

守銭奴ホリエモンがこのブログをリツイートしているというコメントが本当だとしたら、やっぱり!!です。
Posted by 無口 at 2011年04月06日 09:34
>織田さん
 誰のアウトプットにしろ、主観をすべて排除することはできないと思います。その段階ではなくて、もっと根本のところなんですよ。たとえると、「日本人の花粉症患者は増えている」ということを伝えるのに、総務局が昔出した統計の比較対象として、薬局の入り口でアンケートとったデータを使ったら、反則じゃないですか。そういうルール違反は興ざめだから、その可能性を感じて観る気が失せてしまったんです。

>いけださん
 自分にはない視点からのご意見は勉強になります。ありがとうございます。社会的な意義という点はあまり気にしないのですが、映画のテーマは興味深いと私も思います。

>cheekyさん
 当日の記憶が色々補間できました。ありがとうございます。
 イッちゃったフェミニストさんの印象なんですが、訴えてる主義主張はどうでもよくて、感想から持論に繋げる無理やりっぷりが凄まじかったのだけ覚えています。ドライな感想になると思いますが、広島の被曝者の方のお話には例に挙げた人達のような違和感はなかったですが、やっぱり質問はなく、感想でしかなかったので拍手を送りませんでした。
 トークセッションの質問コーナーというのは、映画や作り手の考えや裏話なんかを皆で聴く時間だと思うんです。色々な人の考えや主張があるのは当然だと思いますが、別に僕は観衆の誰かのエピソードは聞くために椅子に座っていたわけじゃありません。ただ観に来ただけの人達が、自己主張の場にすげ替えちゃって、他の人の時間を奪うのはダメだと思うんです。
 あと、映画を観なかったのは、純粋にエンタメとして興がそがれたのが理由です。もともと社会的意義を求めて映画を観に来たわけではないので・・・。ただ、こういうことをブログに書いた以上は、ちゃんと観た感想も書くべきかなと思うので、改めて鑑賞したいと思っています。

>foussinさん
 コメディでもシリアスな映画でも、作り手の誠実さって作品に反映されると思うんですよね。実写のデビルマンみたいに、とことんダメなモノを楽しむってのもアリですが、今回の映画は「とことんダメ」ではないだろうなと感じちゃいました。

>ヒロさん
 ツイッターはそういう道具ですし、どんな解釈で読んでいただいても全然OKです。

>hanaさん
 放射能の怖さをワクワクしたいって目的で観に行ったのに、中途半端な偏りがありそうって時点で興が冷めてしまいました。チェルノブイリ系やJOC系で色々と興味深い文献やDVDはありますが、どうも糾弾目的で偏りまくりのものは苦手なんですよね。

>無口さん
「原発を悪」って決めつけるよりも、どうして「悪」と思われているのか、という理由を紐解くのが楽しいですね。わりと悪とか正義とかの色つけには興味がないんですよ。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月06日 10:30
昨日映画を観ました。

そもそも放射能の怖さについて一切語られていない映画です。原発問題については、土地の埋め立てによる環境への影響、冷却に使われた温水による付近海水温度上昇の問題という実害、風評被害について語られていますが、主体はエネルギーを含めた生活の持続可能性について考えるというものです。

映画パンフレットにすら書かれていない勝手な想像した内容から、検討違いな質問を監督にされて、與ざめして観もしないのに映画について意見を述べるというのはいかがなものでょう。

個人的には、この映画について、電力会社がなぜ原発を作りたがっているのか、スウェーデンの電力会社やエネルギー庁にはインタビューしているのに、なぜ日本の電力会社や官庁にはインタビューしないのか、など作りこみの甘さと、無駄に長い原発反対運動の映像が残念だったと感じました。
Posted by よしなり at 2011年04月06日 11:30
>よしなりさん
 なるほど、勉強になります。
 僕はあのとき、トークセッションで語った監督の言葉から質問内容を決めました。だから、映画とはちょっと逸れた部分の内容を聞いた格好になったんですね。
 でも、トークセッションという公の場で他者の情報にダメ出しするなら、その根拠はちゃんと説明すべきだと思うんです。それが曖昧だったから、作品を作った監督に不誠実な印象を持ったんです。その印象のままで作品を観る気になれませんでした。
 だから、映画については何も批評するつもりはありません。本文でもコメント欄でも「映画についての意見」は出していないと思います。トークセションと監督についてのレビューのつもりです。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月06日 11:46
「原発は正」っていう仮説もありますよね。それも事実か確かめる必要があるけれど、「悪」にしろ「正」にしろ、それを確かめるために古田さんがしている事があったら教えてください。
あと、ご自分に子供がいる、いない(未来も含め)に関わらず、次世代への責任はご自身個人にもあるとお考えですか。
ご回答いただけると幸いです。
Posted by み at 2011年04月06日 12:16
>みさん
 子供はいませんけど、ちょうど妻が妊娠中です。なので、現在の福一原発問題は普段以上に情報収集してますね。ただ、今回の映画鑑賞とそれはまったく関係ありません。あくまで趣味で観に行っただけですから。

 原発自体に悪も正義もないですよ。あれは道具です。誰かが貼ったレッテルを確かめるのは、あんまり面白そうじゃないのでやりません。
 あと次世代への責任ってどんなものですかね。自分たちが生まれたときより裕福で安全な生活環境を作るってことですか? それを幸せに感じるのは作った側だけですよ。生まれた側は過去を実感できません。まあ、どうにか食っていけるという環境なら、(天災さえなければ)僕が何もしなくても維持できると思います。ソマリアより全然マシですし。
 原発に不安を感じたり不幸せを感じたりしているのは、未来の人間じゃなくて、今生きている人間でしょう。「将来のため」って幻想の共有物なんて掲げずに、自分たちのためによりよい環境を作ればいいじゃないですか。で、僕の場合は、正直原発問題の優先順位はそんなに高くありません。自分がちゃんと仕事して、家族と幸せを共有しながら生きていくほうが重要です。そっちに自分のエネルギーを注ぎ込みたいから、今後も原発問題には積極的に関わらないでしょう。その責任という覚悟として、こういう自体になったときに後悔しないくらいの情報収集はしているつもりです。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月06日 13:01
原子力を理解するには理解力とそれを持続するエネルギーが必要です。なので、途中で理解することを諦めて、何となく安全なのだろうとか、とっても危険な物と判断してしまいがちです。貴ブログの内容は、その理解することを諦めてしまい、何のかんのと言い訳をつけて観なかったということで、結局のところとても残念な内容になってしまっています。
賛成も反対もある問題ですが、自分の立ち位置がどちらなのかまず理解するために観てほしかった、その上で批判してもらいたかったと思います。
いつかこの映画について記事にされる時、気をつけていただきたいのは、賛成でも反対でもないというどっちつかずの態度です。
長い間、「どちらでもない人」と「黙っている人」は「反対ではない人」つまり、原子力推進に賛成してる人とカウントされてきましたから。
Posted by もこ at 2011年04月06日 14:17
なるほど。ありがとうございました。
ちなみに私は次世代への責任は、自分たちが生まれたときより裕福で安全な生活環境を作ることとは考えてません。彼らが命をつなげたいと思うときに、それを阻む可能性のある人造物が今そこにあり、問題提起されているなら、立ち止まって考え、選択肢は放棄しない、程度のものです。今立ち止まって考えてます。
まあ天災も人災も常に可能性の範疇にあるのかもしれません。どうやったって食ってけない、ソマリアよりひどいってこともありうるだろうけど、その状態になったら天災だろうが人災だろうが関係ないですしね。
いずれにしても自分と異なる価値観を持つ方の話はためになります。ありがとうございました。
Posted by み at 2011年04月06日 14:27
>もこさん
 それは安易な決め付けですよ。知的好奇心で見に行った映画を観なかっただけです。まあでも人にどう判断されても自分が後悔しないのなら、問題ないです。

>みさん
 こちらこそ、ありがとうございました。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月06日 18:23
>木村隆文さん
 すいません! コメントが抜けてました。
 ありがとうございます。原発や放射性物質には門外漢の立場で「怖さ」に興味をひかれています。だからショッキングな事件やエピソード、脅威にさらされている人達の動向を知りたいと思って、マイペースで色々な本や映像作品に触れてきました。そのなかには、やっぱり著者の主義主張を押し通すための作品がたくさんあって、そのたびに萎えてきた感じです。
 まあ、そういう人が多いの仕方ないのかなと思うと同時に、「シリアスを強要する題材」ということろに面倒くささを感じています。シリアスに寄りすぎると肩がこるから、一部の人しか向き合わなくなります。もっと知的エンタメとして楽しめるコンテンツが多ければ、一部の人が染めたカラーも薄まってとっつきやすくなるのに、と思うんですよね。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月07日 09:11
平たく言うと
トークセッションで、”根拠が怪しくとも自分の信じたいことがある人の集まりで、その信じたいことに沿った映画の上映会”に来てしまったと直感した。

その直感を覆すべく映画監督に根拠の開示を求めたが的はずれなものだった。

”根拠が怪しくとも自分の信じたいことがある人の集まりで、その信じたいことに沿った映画の上映会”に時間を割く気になれず帰った。

ですよね。

知人に集まりがあるから来てと言われて行ったらなんかの宗教の集まりだった、そのあと2時間ある教祖の話など聞いてられないから帰る、みたいなもので個人的には凄くよくわかる話なんですが、他の方はそうではないようですね。
Posted by 二木 at 2011年04月07日 16:59
ダカラー、あの場にいたからわかるけど、古田さんはこの記事の中でかなりはしょってるんですー。意識的なのかはわからないけど、彼はイッちゃった危ない人たちの集まりという概念を形づくる要素だけを選択して、それ以外は無視することにしたんです。(それを責める気は毛頭ないけど、このブログを書くにあたって、情報をどんな選定方法で採用したのかは聞いてみたい。)
ようするに、無意識であれ逆であれ、彼自身の脳内でこの記事にあるような世界をつくりだし、彼自身がそれに違和感を感じたってことでしょ。
監督にデータの選定基準を本当に聞きたかったなら、イベントが終わった後に聞く機会はあったし、そこまでするほどでもないなら「ヘンなもんをみちゃったな」くらいで終わるような話。
わざわざブログで自己表現して、この記事だけコメント欄を開放してるんだから、いろんな人がやってきていろんなコメントを残すのはあたりまえだのクラッカー。
別に古田さんもみなさんにわかってほしいと思ってるわけじゃないでしょ。

Posted by cheeky at 2011年04月07日 23:56
>二木さん
 いや、集まった人皆が盲信系とは思わなかったです。映画の想定ターゲット層がどこというのもとくに考えませんでした。トークセッションに集まった人達のカラーとは別個に、「映画で知的好奇心が見せたるかなあ、もしかしたら微妙かも」と感じて帰ったという感じです。誘ってくれた姉も雰囲気に驚いていましたし、誰かの意志で今回の空気感が作られたわけじゃなく、色々な要素が重なったんだろうなと思いました。
 例示が乱暴で逸れている部分があるものの、共感してもらえたのはうれしいです。

>cheekyさん
 はしょっているといえばそうですね。すべての質問を覚えているわけではないので、印象に強く残った部分だけ抜き出して書いているのは確かです。でも、それは意図的なことではありません。「ごく普通の物事ややりとり」という白い絵の具と「逸脱したやりとり」という赤い絵の具があって、赤が30〜40%の割合だったら混ぜると濃いピンクになるじゃないですか。白が続く日常の記憶のなかで濃いピンク色があったら、やっぱり目立つわけです。目立つ理由は赤い絵の具が混ざっているからですよね? だから、白ではなくて赤のほうを言及するのは当たり前のことだと思っています。一人だけ奇異なら、全体はすごく淡いピンクだから、そんなに目立ちません。会場全体で「質問じゃない質問」に拍手が送られたりして肯定する雰囲気になっていたから、そのヘンな雰囲気を描写したんです。もちろん、それは僕の主観なので、人によっては「全然ピンクじゃなかった」と感じられると思いますが。
 ブログに書いてもいいかなと思ったのは、公の場で鎌仲監督が発言されたからです。監督がツイッターでおっしゃっていたように、そういう場を批評するのは自由だと思うんですよね(自分が将来そういうふうにやり玉に挙げられる可能性も覚悟しています)。
 で、コメント欄を開放したのは、おっしゃるとおり、異論や反論がある人もいるだろうと思ったからです。そういう考えを否定する気はありません。cheekyさんのように、あの場を経験された方からコメントをいただくという貴重な経験もできましたし。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月08日 08:21
少し前に、「賛成派ももっと映して欲しかったな」とコメントした者です。
映画の中では、賛成派も沢山いるとおばあさん達が言っていました。それで、村の仲が悪くなった…、とか、反対派の農家の息子さんは賛成派のお父さんとの関係について語るシーンもあったりです。賛成派がいない風には撮られてはいないので。
私のコメントを見て、なんだそんな映画かあ、じゃあ見ないって思う人はいないと思いますが、心配になって一応コメントました!

Posted by 西原くみ子 at 2011年04月08日 08:43
>西原くみ子さん
 ありがとうございます!
 こういうこと書いた以上は必ず観ます。ご安心くださいね。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月08日 08:58
今回の件は少し状況が違うかも知れませんが、私は基本的には、
「映画を観ないで批判する資格はない」
という、ありがちな批判には反対の立場です。

この批判を確実に言える相手は、映画鑑賞を仕事にしている、
つまりそれに時間を使うのが当然で、お金も貰える映画評論家に対してだけではないでしょうか。

映画を観るには金も時間もかかります。
その時間をバイトでもすればお金を得ることができるところ、
わざわざお金を消費して時間を潰して見るということは、庶民には大きなことです。

にも関わらず、映画を観なくてもその監督の主義主張を
メディアを使って垂れ流されているとしたら、
映画を観ないで批判する資格を奪うのは明らかにアンフェアです。

古田さんはそういう「庶民」には当てはまらないお立場の方かも知れませんが。
(それなら、多少批判されても仕方ないかも知れません。)
Posted by もと at 2011年04月09日 01:34
古田さんはこのツイッターでの監督とのやり取りに満足されているのですか?
聞き方を変えながら同じ内容を2回質問されていますが、結局答えは得られなかったように理解しました。
質問の内容を分かってないのではなかろうか・・・。
それとも、情報の取捨選択という観念が抜けているから答えられないのでしょうか・・・。
Posted by ESI at 2011年04月09日 06:04
>もとさん
 ありがとうございます。
 僕も観てない映画・・・といいますか、体験していないものの批評は説得力がないからしません。この記事では映画は批評していないつもりです。対象はトークセッションと監督ですね。セッションの場と監督とのやりとりを経て感じたことをまとめた感じです。批判は自由してもらえればと考えていますよ。

>ESIさん
 僕の質問は「僕はこうあるべきだと思うけど、どうでしょう?」という類のものでした。質問の過程で、その視点を持っていないということが確認できたし、監督の取材スタンスも教えてもらったので満足しています。この方向でそれ以上聞くのは「俺が正しい、アンタは間違ってる」という体になって、僕の主張の押しつけになりますし、新たな情報も得られないので不毛かなと判断しました。
Posted by 古田雄介 at 2011年04月09日 06:21
「説得力があるのは確かな資料だけを採用した客観的に公平なものだろう」とおっしゃいますが、チェルノブイリなどの事例を勉強して感じたことは、こと原発に関しては科学的な数値でさえその解釈は複数存在し、その選択は政治的なものだということです。突き詰めていくと受け手に必要なのは確実な情報を得ることではなく様々な情報の中でラインを設けて判断することになってくると思います。
日本で原発や放射性物質の安全性がここまで広くフラットに議論されるのは今回の事故以降のことです。
監督の意図は「正しい」ってなんだろうか、ということを提起することなのだと思います。客観的とされているようなデータがある、でも現場ではあれ、違うぞ、という人たちがいる。違ったデータも存在する。これは何かおかしいのではないか。映画の説得力というものがあるとすればこういうところに関わってくるものです。原発のなにかがおかしい、というのをすぐに「原発は悪である」という命題に置き換え、映画をその命題の論証である、としてしまっては確かに映画を観る意味なんてありません。そんな明確な命題を含む映像が現代日本に存在していたら逆に観るべきです。原発推進、原発は安全だ、というのならいっぱいありそうですが。日本の「反原発」の陣営が(存在していたとして)社会にインパクトを与えたことって実際あるのでしょうか。

情報の確度を理由に受信を拒否することも当然必要でしょう。ただ情報の確度を理由に発信を抑制することには違和感を感じます。古田さんのこの記事での意図は前者だとは思うのですが。発信者にどの程度厳密な情報を求めるかは媒体によって違いますしそれを承知の上で受け手も捉えることができます。映画監督が科学者であるとは限りません。そこは受け手が補完すればいいのではないでしょうか。監督の情報の選択が度を越して杜撰かどうかは映画を観ていない以上宙に浮いたままです。
Posted by k at 2011年04月10日 10:45
>Kさん
 大前提として「見るべき」という考えに違和感があります。別に原発問題を考えるなら、いろいろな文献がありますし、監督の映画を観る必要はないわけです。知的好奇心をくすぐるエンターメインメントとして、これから観る映画に価値があるかどうか。僕が疑念をいだいたのはそこです。
 あと、「客観的に公平」なデータが複数あることは知っています。そのなかでどんな理由でどれを採るのか。または、僕の知らない新たな公平なデータを示してもらえるなら、それはすごく知的好奇心に響く出来事です。

 扱うテーマがゆるくても深刻でも、僕は作り手に誠実な姿勢を求めます。それだけです。

 ちなみに、今の日本は「原発や放射性物質の安全性がここまで広くフラットに議論され」ている状況じゃないですよ。「反原発の主張が通りやすい、今までと逆の傾きが起きている状況」じゃないですか?
Posted by 古田雄介 at 2011年04月10日 11:04
やはり観てから批判すべきですね。祝島の人々の気持ちは正確に伝わってきましたし、なによりスウエーデンの賢い選択と日本の異常さがよくわかりましたよ。日本にだけいるとおかしさが認識できませんね。送電線に自由にアクセスできない独占体制のおかしさ、持続可能な社会を作り出すために活動する市会議員がボランテイアだなんて(欧州の常識らしいですが)、日本の国会議員をはじめ、地方議員がなぜあんなに威張っているのか、報酬の異常な高さにも原因がありそうですね。ドキュメンタリーの評価は結局は観る人の感性や知識量にもよるでしょう。反論があるなら、同じテーマで別な視点で作品をつくってやるべきでしょうね。
Posted by コバヤシマサヒロ at 2011年07月05日 21:06
>コバヤシマサヒロさん
はい。この時点で観ていないもの、体験していないものは批判も批評もしていませんよ。

また、同じ立場でないと批判できないなら、賛美するにも同じ立場じゃないと筋が通らなくないですかね。どんな感想を持とうが自由だと思いますし、感情的だったり偏ったりした感想を発表したら、それ相応の批判をいただくことになるでしょう。僕はそれもありだと思います。

 「映画人以外が映画の感想を書くなら、褒めろ」と言われている気がしますが、どうでしょう?

あんまり、そういうダブルスタンダードには興味がないので、今後も自分の仕事とは別の作品の感想を書いていくと思います。
Posted by 古田雄介 at 2011年07月05日 21:21
終わってしまっている感のあるコメント欄に書いてしまいスミマセン。
議論されているコメントは全然読んでおりません。
ブログに書かれている「そのトークセッションがすごかった」に反応してコメントを書かせて頂きますが、別段、承認は求めません。
少し前に、今はお祭りイベントとなってしまったアースデイに何年かぶりに行ったら、今回の震災の後ということもあって反原発色が濃い感じでした。ま〜それは良いのですが、その会場で「祝の島」の上映会の勧誘がスゴクて、会場は2つ隣りの町でしかも平日だったので、「行けません」と断ると、まるで「私は今、魔女を発見しました。」みたいな感じで、連れのおばさん達が寄って来て何故見ないのかと言い始める始末で、私としては全く悪意無くただ物理的に社会人は平日昼間から映画見られないと言っただけなので、大変驚きました。あれは、一種の狂信的な宗教団体の信者ではないかと思う程です。
まさに、お書きになっている
「様々な人の口から、似たような雰囲気のマイクパフォーマンスが繰り返された。」と同様の状態でした。
吉田様はドキュメンタリーと銘打たれた映画の情報の出所について問われていますが、私は情報の出所もさることながら、反原発が宗教化していることに恐怖を覚えます。
今、この日本で原発賛成と言える人はなかなか居ないと思いますが、私のように、いい加減な人間で、「今までどおり快適な暮らしができれば、原発でも水力発電でも何でも良い。」と思っている人だって結構居るんじゃないかと思うのです。その、今この時期だから、賛成とは言わないまでも、絶対反対ではない人達の発言機会が葬られている空気感がイコール反原発の宗教化に見えてなりません。
もう一つ気になるのは、言い方が上手くないのですが、ヒューマニズム的観点からに反原発を唱える人達とフクシマを見捨てる人達がこれもまたイコールに見えることです。「人類の未来」的な事を言いながら、フクシマと名の付くモノから回避行動をとる=フクシマを見捨てる。それは、結局、人類の未来ではなく、ただ自分と周囲の人だけの安心と安全を求めているように思えます。

原発問題に関するデータについて、自分自身の考えも書きますと、結局、賛成の人も反対の人も核物理学については知っている事が少ないのだと思います。だから、解らない人どうしが、「どちらが声が大きいか」だけで戦っているように思います。先日、機会があって地球物理の先生と話す機会があり、地震予知は何故出来ないのか聞きましたら、端的にシロウトに解りやすく言ったのかもしれませんが、「地震に対する経験が少ないから」だと言ってました。つまり、統計がとれたり、解析したりできる程のデータが無いというでした。
結局、科学的にその「地震や原発」という領域についてまだ無知なのだと、思いました。ですから、現在時点でどんなデータを使ってもどちらにも都合の良いデータは集められるでしょうし、どちらにも不都合なデータも揃えられる、その程度の経験値なのだと思います。
最後に、私としては、ウランを妹に持ち、核融合炉で動くアトムも、光の国からやってきたウルトラマンもどちらも好きです。
Posted by もり at 2011年07月20日 21:17
>もりさん
熱いコメント、ありがとうございます。

 ただ、反原発の人でもヒステリックにならず、冷静に情報や情勢を見守っている人も大勢いると思います。どうしても「反原発」「原発推進」とくくっちゃうと、感情的なアホが目立ってしまうというだけで。

 たぶん本当にくくるべき線引きがあるのなら、それは「原発反対にせよ推進にせよ、現実的な問題を考慮しながら他人の考えを受け入れて論議する人」「感情に流されて稟議する余地を脳内に残していないアホ」「何も考えないスタンスの人」の3種類かなと思います。

 2番目の層が世論を作ってしまわないように、1番目の人たちが増えることを祈るばかりです。
Posted by 古田雄介 at 2011年07月21日 00:15
書きたい事を整理して頂き、感謝です。
さすが、普段から論理的に文章を組み立てる仕事をされていると違いますね。
「2番目の層が世論を作ってしまわないように、1番目の人たちが増えることを祈るばかりです」まさにそうだと感じます。
多分、自分は3番目の人のくくりで、その中の「良く解らない人」だと思います。
Posted by もり at 2011年07月21日 09:09
素晴らしい文章に大変感銘を受けました。
原発問題に社会的関心が深まる中「原発=悪」という前提でこの問題と向き合う人が殆どな訳ですが、甚だ疑問です。ちなみに私は心情的には原発はイヤですが、中立です。
仰る通り、正確に分析、検証、判断するには客観的、俯瞰的な観点が必要不可欠だと思います。
この作品にもやはり「原発=悪」の前提が少なからず感じられました。反原発の正当性を補完するために原発が生態系に及ぼす悪影響や、スウェーデンの例を挙げていましたが、それは大変貴重なデータなのですが、やはり私としては原発推進派側の意見や原発のメリット(雇用ができるとありましたが)にも触れていない限りは片手落ちな感が否めませんでした。
ただしスウェーデンのエネルギー社会の仕組み(エネルギー市場の開放)は是非参考にすべきだと素直に感じましたね。
日本の波力発電の期待性も高いとの事であればぜひ取り組むべきですしね。もちろんコストの問題もありますが。

私は途中から映画のストーリー展開に混乱してよくわかんないまま上映終わってしまったんで(笑)この程度しか書けませんが…読んで下さった方 ありがとうございました。
Posted by ショウジヒロユキ at 2011年08月28日 01:38
>ショウジさん
返信が遅くてすいません・・・。
 確かにエネルギー市場の開放は是非進めてほしいですね。人口密度など様々な事情の違いがあるので、スウェーデンのような体制にはならないと思いますが、日本型の合理的なシステムが作られる気がします。そこは期待したいですね。
Posted by 古田雄介 at 2011年09月09日 01:59
理解力がない若者であることを認めたうえで、コメントさせていただきます。

今日映画を鑑賞しました。陳腐な感想かもしれませんが、知らなかったことをたくさん知り、沢山考えさせられました。

自分の考えはしっかり主張していかなければならないと感じました。ネットなんて頼らず、本当に言いたいことは面と向かって。

映画は作品です。監督の意思とかどうでもよくて、映画も見ずに勝手に判断する姿勢は非常に不愉快です。
それから述べてください。何も熱い議論をする段階にも立てません。
古田様は僕に比べて非常に鋭い観点から物事を見ることができる方であると思います。

だからこそ、映画を見てから思いを発信してください。

見た際には、改めてご意見を伺いたいです。
僕は原発がもつ悲しさ(一概には言えませんが)を改めて強く感じました。

古田様のこの記事を読んで、何故か非常に不愉快になったためにコメントさせていただきました。正直に言わせていただきます。

ぜひ、また映画の感想をお聞かせください。失礼いたします。
Posted by サラバ at 2011年09月17日 02:03
>サラバさん
うん。僕も見たこと感じたことしか批評してないんですけどね。

この記事のレビューの対象は、監督のトークショーです。映画の善し悪しなんて書いていませんよ。

普通に読んでくれれば分かると思うんだけどな〜。そちらこそちゃんと読んでから感想を言ったほうがいいですよ。
Posted by 古田雄介 at 2011年09月17日 02:54
私は反原発ですが、鎌仲ひとみさんは日本人特有の欧米への卑屈な劣等感の持ち主だと強く感じた。

従来の日本人は欧米に劣等感を感じ、
「欧米諸国では○○のようにやってる」と言えば欧米に劣等感の強い日本では強い説得力を持ち、「欧米諸国がやってるのなら正しいんだ」と鵜呑みにしてきた。その結果、多くは日本には合わずに失敗してきた。ココ近年の原発推進も「フランスを手本にしてCO2削減のために原発を進めよう」との掛け声の元、進められた。「欧米のフランスがやってるのなら正しいに違いない」と日本人は言い、その結果、今回の事故に至った。

「欧米の○○ではこのようにやってるから、そのようにしよう」という方便は、欧米に劣等感を持つ日本では無意味に説得力が生まれてしまうから、あまり使ってはいけない方便だと思う。
Posted by なまこ at 2011年10月03日 00:19
>なまこさん
北欧の取り組みもおしろいんですけど、確かに海外での成功例だけ見て、それを日本に移植する難しさを考慮に入れていないかなと感じました。

なんにしろ、国内外の事情をフェアに評価する材料は与えられていなかったと思いますね。
Posted by 古田雄介 at 2011年10月04日 10:14
もう1年も経ってしまったので今更ですが、お礼と感想を述べさせていただきます。

今日「ミツバチの〜」の上映会があって見に行く予定なので、事前準備として映画について調べていたら、このブログを発見した次第です。

僕はカレイドスコープというブログを読んで反原発の盲信者になっていました。

が、このブログを読んで我に返ることができました。

上映会前に冷静になれたことは非常に幸運だと思います。

ありがとうございます。


ちなみに、それでも反原発であることは変わりないままです。

やっぱり、原発事故による放射性物質拡散のいわゆる「残余のリスク」が、停電や経済衰退のリスクとは比べものにならないくらい大きすぎる可能性があるので。

といいますか、使用済み核燃料プールの強度増加および放射性物質拡散の防護壁の建設を早くやるべきですね。

ただし、今後はできる限り客観的な情報に基づいて冷静に議論することを強く意識したいと思います。

僕は原子力工学の研究室もある学科に所属している大学生なので、なるべく勉強して専門知識を身に付けて、それをできるだけ誤解を招かないような形で社会に還元したいと思います。
Posted by nz at 2012年05月13日 02:17
ときどきこのページを読ませていただきに訪れています。
単純な二元論に陥って思考停止になった人々のムダにデカイ声は、
事故から1年経ってますますデカくなっている気がしています。
少し落ち着いて、目を開いてみろよって言いたくなります。
実際は、そういう人にそんなことを言っても届かないんですけどね。
ヒステリックにギャンギャン言われて辟易する日々。
ここに来るとほっとします。冷静さを保つための最後の砦って感じ。
ごめんなさいね、こんな使い方して。
これからも訪れると思うけれど、これまでのお礼をひとまず伝えておきたくて。
ありがとうございます。
Posted by おおひら at 2012年05月19日 22:23
これは、金太郎飴売りと、金太郎飴を求めているお客のような関係ではないでしょうか、中には別の飴を欲するお客もいるでしょうが其れは少数者で、多数はどこから見ても同じ切り口の金太郎飴を求めて、又売り手にしても何処から切っても同じ切り口の金太郎飴を切って見せて双方納得、、こんなとこでどうでしょう?。
Posted by サンディ at 2012年09月16日 01:18
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ここは酷い虫の息規格ですね
Excerpt: 決して主流になることは無く、歴史の表舞台から姿を消した非常に個性的な記録媒体いろいろ - GIGAZINE http://gigazine.net/news/20110405_strange_str..
Weblog: 障害報告@webry
Tracked: 2011-04-06 03:39