2010年10月25日

内輪のエンターテインメント

 先日、妻とともに友人の芝居を観に行った。友人が参加したのは外国人の演出家を招いた前衛的な芝居で、事前の広報活動も積極的に行っていたらしい。開演ギリギリに会場に入った我々は、ぎっしり埋まった観客席の盛況ぶりに驚いた。そして数分後、別の感情の波がやってきた。

 役者として舞台に立っている友人は独特の雰囲気を放っていて面白かったけど、芝居自体は自己満足な演出と細部の粗の多さから、娯楽として成り立っていないように感じた。友人が出演していなかったら苦痛で席を立っていただろう。最後まで見ることができたのは、やはり友人が魅力的だったからだ。上演時間はだいたい1時間半。「アイツらしいな」なんて、妻とニヤニヤしながら友人の挙動や台詞を観察しているうちに幕を下ろしていた。

 芝居は退屈だったけど、友人を見ている分には面白かった。つまり僕はこの芝居を「内輪のエンターテインメント」として楽しんだわけだ。学園祭や誕生パーティの出し物ならそれでOKだろう。客はだいたい身内だ。しかし、一般公開するならそれじゃ駄目だと思う。前知識を共有している人しか楽しめない作品なら、それ以外の層を誘い込むべきじゃない。二次創作の同人誌を一般の書店に並べるようなもんだ。だから僕は、内輪な匂いのする作品は好きになれない。芝居も映画も書籍も、・・・そしてネットも。

 ただし、最近は別の視点も大事だと思うようになっている。ツイッターやニコニコ動画、mixiみたいな人気のネットコミュニティは、内輪の盛り上がりが広まることで一般化していった感がある。全員が内輪ウケを否定していたら、おそらくここまで成長していないだろう。だから、内輪のエンターテインメントも「何も準備がないところじゃ通用しないカス」と切り捨てず、「今後のブレイクを予感させる原石」と寛容に捉えたほうがいいのかもしれない。

 そんな考えもあったし、忙しい仕事の合間をぬって練習してきたことも知っているから、上演後の友人に感想を求められたとき、「あの台詞はらしくて良かったよ」と内輪の視点に終始して肯定的に答えるよう努めた。が、横から妻に「この芝居のターゲット層が分からん。全然前衛的じゃないし、あんな演出家をわざわざ海外から呼ぶ必要あんのか?って言ってたよ」と客席でもらした感想をバラされてしまった。客観サイドの本音を突然あばかれると、人はリアルで「あわわわ」と言いそうになるんだと思った。
posted by 古田雄介 at 20:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文、他 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック